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今回は「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」についての記事となります。
■著者
影山 知明(かげやま ともあき)
クルミドコーヒー / 胡桃堂喫茶店 店主
1973年東京西国分寺生まれ。東京大学法学部卒業後、マッキンゼー&カンパニーを経て、ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。2008年、西国分寺の生家の地に多世代型シェアハウスのマージュ西国分寺を建設し、その1階に「クルミドコーヒー」を、2017年には国分寺に「胡桃堂喫茶店」をオープン。出版業や書店業、哲学カフェ、大学、米づくり、地域通貨などにも取り組む。著書に「続・ゆっくり、いそげ ~植物が育つように、いのちの形をした経済・社会をつくる~」。
■テイクから入るか、ギブから入るか。それが問題だ
・お客さんの中に眠る「受贈者的な人格」
人はいい「贈り物」を受け取った時に「ああ、いいものを受け取っちゃったな。もらった物以上のモノで、なんかお返ししたいな」と考える人格を秘めている。
これは「消費者的な人格」とは真逆の働きをする。自分が手に入れるものより、支払うものの方が大きくなるので「受贈者(贈り物を受け取った人)的な人格」と呼べる。
お客さまがお店や会社から商品・サービスを「受け取った」時に、「健全な負債感」を持つと、「何か返さなければ」と思う。
「負債感」とは、相手との関係の中で「受け取っているものの方が多いな」「返さなきゃな」と思う気持ちを背負くこと。
「いいものを受け取る」ということは、その人を次の「贈り主」にする。
・「消費的な人格」と「クレーマー」
「クレーマー」とは人の中にある「消費者的な人格」の一つの行く先と言える。
きっかけはお店や会社側の不手際だったとしても、そこに付け込み、時に過分とも思えるような要求を突きつけることで相手から譲歩(特別扱い)を引き出す。まさに「できるだけ少ないコストで、できるだけ多くのモノを手に入れようとする」姿勢。
・交換を不等価にする
交換を「等価」にしてはダメ。
「不等価」な交換だからこそ、より多くを受け取ったと感じる側が、その負債感を解消すべく次なる「贈る」行為への動機を抱く。
だから、お店が定価以上のいい仕事を続けていけばお客さんは増えていくし、それは提供サイドにとっての手ごたえともなり、お店に前向きなムードを作る。
お客さんの側への「健全な負債感」の集積こそが、財務諸表に乗ることのない「看板」の価値になる。
・日本にチップが普及しない理由
交換を不等価にすることで次なる交換を呼び込み、交換を継続させる。
アメリカやヨーロッパなど広大な国土/大陸で移動しながら社会をつくる環境の場合、「次、いつ会えるかわからない」状況であるからこそ、1回一回の交換でどちらかが負債を追うことなくきちんと清算するインセンティブが強く働き、チップを払う。
チップは、「自分は負債を負っていないよ」という関係性の証明。
日本は、限られた国土で、同じ顔触れの中、長期間に分かって関係を構築する度合いが強い。むしろ交換をいかに途絶えさせないかという方向での知恵が求められる。交換を不等価にすることで、「負債感」が関係を継続させる。
■お金だけでない大事なものを大事にする仕組み
・世界中でコカ・コーラが飲めるのはなぜか
システムがもたらす力学。
例えば、コカ・コーラが世界中で飲めるのはなぜか?
その答えの一つにとして「資本主義のメカニズムがそうさせた」と答えることもできる。
株式市場に上場し、株主との関係で前年より更なる売上・利益の成長を求められる会社にしてみれば、アメリカ中にコカ・コーラが行き渡ったら、海外市場へとその成長を求めることはほとんど不可避の選択肢となる。
資本主義は、ひとつのシステム(仕組み)です。
システムには「期待される成果」や「目的」があります。
資本主義の目的は、個人の経営的利得の最大化と、システム全体として生み出す経済的価値の最大化です。
システムの参加者は、システムが期待する「成果」を生み出す方向への行動に駆り立てられる力学に従うことになる。
コカ・コーラ社の経営陣が仮に「個人としては」この飲料を世界に広めたいと思ってはなかったとしても、結果はおそらく変わっていない。
世界中にコカ・コーラを広めるのは、誰か特定の意志ではなく、それは巨大な力で迫ってくるシステム上の要請からだ。
・駅前がチェーン店ばかりになる理由
多くの人が「チェーン店ばかりの駅前」よりも「個性のあるお店が連なる駅前」を求む傾向がある。
しかし、資本主義の力学が働いている駅前の再開発などでは、「収益の最大化」「リスクマネジメント」といったシステムの要請の下では、「個性のあるお店が連なる駅前」が実現しない。
結果、誰もそう望んでいないのに、むしと誰しもできることならそうしたくないとさえ思っているのに、どこの駅前も同じようなチェーン店で埋め尽くされているという現状が出現する。
■「交換の原則」を変える
・お金とは受け取るための道具
普段お金を使う時、欲しいものを「手に入れる(take)」だめだ。美味しいものを食べたい、人い家に住みたい、旅行に行きたい、そのためにお金を使う。
もう一つの視点として、お金を「受け取る(given)」ための道具として捉え直すのはどうだろう。目の前の「美味しいモノ」も「広い家」も「旅行」も誰かの仕事の結果だ。お金はそれを受け取るための道具。
どんな仕事にも、それを現実のものとしてくれている「贈り主」の存在がある。その仕事/ギブを受け取りました、いただきました、ありがとう、とお金を渡す。
このように自分が受け取ったものを意識することは、送り主を創造することに繋がり、それが「いい仕事」であると感じられる場合にはリスペクトの気持ちにつながる。
「いいものを受け取っちゃったなぁ」という感慨とともに生じる「健全な負債感」を解消しようとすることは、次の贈与への動機を生じさせることになる。
一方、お金を「手に入れる(take)」ための道具と位置づけるということは、仕事主は取られる/奪われる(taken)存在になることを意味する。
take/takenの関係は疲労感に、give/givenの関係は幸福感に近付くのではないか。
経済は交換の連なりである。
give/givenの関係が循環する経済は、仕事をする側、商品・サービスを受ける側が幸福感に包まれる世界となる。
■人を「支援」する組織づくり
・「支援し合う関係性」に基づく組織へ
会社も「ボランティア組織」じゃないかと思う。
ボロンディア組織の3原則を会社に当てはめてみる。
- 自発性
会社やお店の発展・成長を自分ゴトと捉え、自ら課題を見つけ、率先して挑戦する。働いているのは「誰かに言われたから」ではない。 - 公共性
そこでの働きは自分ではない誰か(他者)に向かっており、その人を喜ばせることが自分の喜びでもある。 - 無償性
給与や時給は働く上での極めて重要な要素でもあるし、多くの場合それが職を求めるキッカケでもあるが、かといってお金のために働くわけでもなく(動機の無償性)、むしろそれは自分の仕事や貢献に対して周囲がもたらしてくれる対価と考える。
会社/経営者と社員/メンバーの関係を「利用(take)し合う関係」ではなく、「支援(give)し合う関係」として構築しようとすると会社も「ボランティア組織」と考えることができる。
ひとりひとりの人生は会社の先立ってある。会社は、一人ひとりのメンバーを「利用」するのではなく、それぞれの人生であり、そこを根を持った一つひとつの自発性を「支援」する。
そうして発揮されるメンバーの自発的な働きや貢献によって会社は形成されて、運営され、成長する。
・仕事に人をつけるか、人に仕事をつけるか
コンビニのお弁当がおいしくないのは、味が悪いからでも、使っている食材の産地のせいでもなくて、きっとそれはそこに作り手の存在が感じられないからだ。
反対に、娘の握ってくれたおにぎりだったら、それがどんなに不格好だったとしてもきっと間違いなくおいしい。
お店や会社で提供する商品・サービスの向こうに、「この人がいたから」という、固有の存在としてスタッフの顔が浮かぶようなことをしたい。
それは、「人に仕事をつける」ということでもある。
経済学の教科書では、「仕事に人をつけよ」と学ぶ。なぜなら、仕事を属人化させると経営が不安定になるからだ。
「仕事に人をつける」――それを突き詰めていくと人はどんどん「替えのきく」存在となっていく。メンバーは、自分の存在意義自体への疑念にたどり着く。
「一人ひとりがかけがいのない存在である」というのは経営者としてはロマンチックすぎるかもしれないがクリミドコーヒーでは、「人に仕事をつける」選択をする。
■「私」が「私たち」になる
・他人とともに自由に生きる
「自分のことは自分で決められる」「まわりから干渉されない」とは、自由であっても、基本的に自分一人の自由――いわば「小さな自由」とでもよぶべきものだ。
他者と関り合うことで、自分一人では実現できないようなことが実現できるような他人とともにある自由――「大きな自由」。自分の「利用価値」や「機能性」でなく、「存在そのもの」を受け止めてくれる他者がいることで、その自分にもとれる場所。
■「時間」は敵か、それとも味方か
・仕事の正体は「時間」である
あらゆる仕事の正体は「時間」であると思う。
それも機会が働いた時間ではなく、人が働いた時間(「働かされた時間ではなく」)。
そして、仕事に触れた人は、直感的にその仕事に向けて費やされた時間の大きさを感じ取るセンサーを持っている。費やされた時間の大きさを感じ取り、「何か落ち着く」「気持ちがいい」「身体が喜んでいる」のような「快」の感覚を得る。
■感想
資本主義で凝り固まっていた頭をハンマーでたたかれたような感覚になる。売上・利益を上げることが正義。少ない費用、少ない時間でより多くの利潤を得ることが正義と信じて毎日働いている価値観が大きくゆすぶられる本。
日本はとても豊かで、仕事を選ばなければ餓死することはない。では、なぜそんな必死で働いているのだろうか?人によっては、家族の時間を削り、身体を酷使し、時に精神を害しながらも働いている。
マーケティングでは、「刈り取り」「ターゲット」「戦略・戦術」など戦争用語が飛び交いお客さまとは、「take/taken」の関係構築が通常となっている。
ポスト資本主義という考えもあるが、この本と通して「お金ってそもそも何だろう」「働くとは何なんだろう」「自由とは何だろう」といった、幸せに生きるための多くの気づきを得ることができる。読了後は、今までの価値観がひっくり返る船酔いのような感覚と、人に対して優しく接する気持ちになる感覚が同時に発生する。効率主義、出世競争、顧客獲得、売上至上主義など今のビジネススタイルに違和感を持つビジネスパーソンにおすすめの一冊です。
最後まで読んでいただきて、ありがとうございました。
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