ご覧頂き誠にありがとうございます。
今回は『400年前なのに最先端! 江戸式マーケ』についての記事となります。
■著者
川上 徹也
コピーライター。湘南ストーリーブランディング研究所代表。
大阪大学人間科学部卒業後、大手広告代理店勤務を経て独立。 コピーライター&CMプランナーとして多くの企業の広告制作やブランディングに携わる。東京コピーライターズクラブ新人賞、フジサンケイグループ広告大賞制作者賞、広告電通賞、ACC賞など受賞歴多数。著書は、『物を売るバカ』『1行バカ売れ』、『ザ・殺し文句』、『キャッチコピー力の基本』など のビジネス書をはじめ、『もえとかえる ことばのふしぎ大冒険』などの児童書、『仕事で大切なことはすべて尼崎の小さな本屋で学んだ』などの小説など幅広い。
■三井高利とは?
1622~1694年◎三井グループの源となる三井越後屋の創業者。伊勢国松坂に生まれ、14歳で江戸に出て呉服屋を営む兄の店で丁稚奉公から始める。18歳で実質的に店を仕切れるようになり、兄の店を飛躍的に拡大させる。しかしあまりの商才を兄から恐れられ、28歳の時、母の看病という口実で故郷に戻される。それ以降、24年間松坂で金融業を営みながら時を待ち、52歳で江戸に呉服店「三井越後屋(のちの三越)」を出店。「現金(銀)安売り、掛け値なし」など練りに練ったビジネスモデルで、様々なタブーを打ち破り、江戸に流通革命をもたらした。経済学者ピーター・ドラッカーをして「マーケティングは、日本で三井家の始祖(三井高利)によって発明された」と言わしめたほどの凄腕マーケッター。
■三井越後屋のマーケティング戦略
1「番傘」の無料貸出
・カサを貸して社会問題を解決、町人を「歩く広告塔」に
越後屋は、ロゴマークが大きく入った傘を常に大量に準備していました。そして、店頭でその傘を貸し出すサービスを実施していた。
当時、傘は体験高価だったので、無料貸出は町人にとってとてもありがたいサービスだった。同時に、傘には「越後屋」ロゴマークが大きく入っているので、新参者の越後屋の名前を江戸中に知らしめる大きな役割があった。
2「店頭販売」という革命
・「屋敷売り」から「店前売り」へ
当時の呉服屋は、得意先の屋敷を訪ねて商品を販売する「屋敷売り」が主流でしたが、越後屋は、「店頭売り」を実施した。お客さんにとっては、必要な時に店に訪問でき、いろいろな商品と比較できるメリットがあった。
・「掛け売り」から「現金正価販売」へ
当時は、資金の回転率の悪い「掛け売り」が主流でした。貸し倒れのリスクを抑えるため、呉服は高額商品となり、庶民には手の出ない商品となっていた。値段も顧客によって違うのが普通だった。
三井越後屋は、商品に値札をつけ「現金払い」に変えました。貸し倒れのリスクが少ないので、低価格での販売を実現しました。その代わりに値引きはしない同一価格を打ち出しました。
3「現金安売り掛け値なし」
・大々的な広告キャンペーン
越後屋は、天和3(1683)年、本町から隣の駿河町に引っ越して再オープンする際、日本初を言われる引札(現在のチラシ)を使って大々的な広告を実施しました。
その時のキャッチコピーは「現金安売り掛け値なし」です。
これは「どんなお客さんにも値札通り安い価格で提供します」という宣伝でした。
■感想
江戸時代の日本には、世界に誇れる画期的なマーケティングが溢れていた。
日経BPコンサルティング・周年事業ラボ調査(2020)によると、創業200年以上の老舗企業は世界中に2051社あり、そのうち日本企業だけで1340社にのぼるそうです。つまり世界の200年超老舗企業の65%が日本にあります。
本書では、「三井」「三越」「大丸」「西川」「にんべん」「山本山」「豊島屋」「山本海苔店」「国文」など、日本の200年超老舗企業が行ったマーケティングを紹介している。近江商人の理念である「三方よし(「買い手よし、売り手よし、世間よし)」のように、顧客と社会課題をしっかり考え、既成概念にとらわれないイノベーションは、現代のマーケティングにも参考になることが多い。
長く愛される企業をどのように生み出すべきなのか?ベストセラーよりもロングセラーを生み出していく秘密のかけらを見つけることができる一冊。マーケティングの教養本としても読んでおきたい。400年前の話だが、今のマーケティングにも通じるため、学びが多い一冊です。
最後まで読んでいただきて、ありがとうございました。
その他の記事はこちら
背伸びしない等身大の経験とアイディアのコラムも書いています。
日々の仕事やライフスタイルのヒントになればうれしいです。
X(Twitter)、Threads、instagram、Blueskyもやっているので、もしよかったら覗いてください。